10年ほど前に訪れた与論島では、ある意味で都会であった鎌倉とは大きくかけ離れた医療をしていて、カルチャーショックでした。
その一つが、死ぬ間際の儀式でした。
「家で死ななければ魂が迷う」として、病院で亡くなることを嫌がりました。
明らかに亡くなってから、慌ててオンコールの事務員を呼びだし、マイクロバスみたいな寝台車に担架ごと患者さんを乗せて、儀式的な心肺蘇生をしながらご自宅まで搬送しました。
御自宅に布団を敷いて、落ち着いたところでご臨終を伝えさせて貰いました。
こんな事をして意味があるのか?と最初は思いました。
そんなのが当たり前な与論島において、心に残る患者さんがいます。
腎不全と心不全の末期状態のその人はある日「後1週間で自分は死ぬから、家の神々に挨拶をしてから死にたい」と言われ、帰ることを強く希望されました。
酸素も使いCVも入れて、ハンプと昇圧剤、利尿剤を使ってるその人を、何とかご自宅に連れ帰り、大型の酸素ボンベを用意して、CV入れたままで循環動態のコントロールを図りながら毎日2回の訪問看護と1回の訪問診療とを続けました。その患者さんは帰って10日目に息を引き取られました。
その死に顔はとても穏やかな顔をしていました。
神々が当たり前にいて、その神々に感謝しながら生きる。そして亡くなるときも神々の元へ帰ることを当たり前のように思っている。
昔は本土でも当たり前のよう行われていた臨終の場に、現代にいながら体験できた、そんな島でした。
僕にとって、とても貴重な体験の一つです。