リスク・マネジメントとは危機管理と言われたりするが、予め起こりうることを想定して、それに対する備えをしておく事を言う。
例えば、認知症もあって立つとフラフラするにもかかわらず、自分勝手に立ち上がっては転倒を繰り返している高齢者がいるとしたら、どうやったらその高齢者を転倒させないで済むかを考えることがリスク・マネジメントとなる。
この場合、起き上がってベッドから降りようと地面に足を下した瞬間にブザーが鳴るとか、起き上がった瞬間にブザーがあるなどしてすぐに看護師や介護士が駆けつけられるようにすることが一つの解決策だ。
しかし、そういう対策がされているにもかかわらず、その患者が転倒を繰り返しているとする。
その原因を探ってみると、担当の看護師が他の患者の看護に付きっ切りでブザーが鳴っても駆けつけられなかった、とする。そして、他の看護師も自分の担当患者の対応で手が回らなかった、ということは恐らくほとんどの病院で起きている。
ここにリスク・マネジメントの形骸化が存在する。
リスク・マネジメントは、有害事象を予防することが目的である。
しかし、計画がされてもその目的が達成されないとすると、それは絵に描いた餅でしかない。
その計画が確実に遂行されることを阻害する因子は何か?を考えると、さらなる解決策を見出すことができる。
しかし、その解決策の遂行は、かなりの困難を極めることが多い。
何かしらの対策をかけるにはお金がかかる。
転倒防止のセンサーを付けるのはもちろんだが、それが意味をなしていないのがマンパワー不足だとするなら「人を雇えばいい」と言う発想が生まれる。
しかし、その人を雇うにも何かとお金がかかる。
人件費がかさみ、それに見合った利益を必ずしも生む訳ではない場合、雇用者はなかなか人を雇わない。
そして、いつまで経っても転倒はなくならない。
人を雇えば対応できるのかもしれないが、無制限に雇うのもまた雇用者側としては決断しにくい。
結局、リスク・マネジメントと経営とは相反する概念なのだ。
それでも、高い志を掲げ、医療を変革していこうというのなら、そういう対策にこそしっかりお金をかけるべきであろう。
「工夫して何とかしなさい」をひたすら続けても、どこかに限界は来る。
その限界を超えていても痩せ馬ぬ鞭打つような仕打ちを繰り返しているようでは、人は去ってしまう。
そしてそんな組織に繁栄はない。
世間を騒がせている今こそ襟を正し、
綺麗ごとではない理念を掲げ、それを遂行する努力とその援助を、
組織のトップがやらなければ、必ず潰れるであろう。
今こそ決断の時だ。。。